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本八幡botのXで書ききれない話

なぜ本八幡が焼鳥の激戦区なのか調べてみた!


こんにちは!本八幡botです!

本八幡は美容院と整骨院とラーメンの激戦区ですが(すでに情報量が多い)、さらに焼鳥の激戦区でもありますね!

なぜこんなにも焼鳥屋さんが多いのか…?

いくつかのお店にインタビューしたものをまとめてみました!

 

厳密なマーケティングデータに基づくものではないため仮説にはなってしまいますが、本八幡の焼鳥の歴史を知ることができるかも…?

調査ファイル1:とりまささん

本八幡といえば「とりまさ」!

駅の南側にいくつかある「とりまさ」はご親族だったりします。

 

古くから代々経営されていて、本八幡駅南口すぐの「鳥正」が50年の歴史をもつ本店。

あまり知られていませんが、なんと埼玉の熊谷にもあるのです。

左が本店、右が販売専門店

取材させていただいた店舗では店内だけでなく、店頭でのテイクアウトも可。

一度リニューアルしているためとても綺麗ですが、創業は1981年3月の老舗。

夕方になると行列ができます。

ご主人にお話を伺ってみました。

 

そもそもの前提として、鶏肉が他の肉に比べて安いことから、焼鳥屋さんは参入しやすい業態なのだそう。

さらに、本八幡ではやはり鳥正がたくさん出店していることから、焼鳥のまちの基盤が最初からできていたのではないかと推測されていました。

同じエリアで同じ「とりまさ」の名前を使っているのは、先々代である祖父の計らい。

同じ名前のお店が複数あれば商売がしやすく、お客さんも安心するという考えから。

素晴らしい経営理念だ…!!

テイクアウトの焼鳥には専用のタレも付いてきて、これがとにかく絶品なのです。

お答えいただきありがとうございました!お店の詳細はこちらから!

 

「とりまさ」店舗情報

住所市川市南八幡4-6-13
電話番号047-378-4362

調査ファイル2:鳥くにさん

こちらも本八幡の老舗、鳥くに!

なんと同じく50年の歴史を誇り、優しいご主人のお人柄に若い方のファンまでいる人気ぶり。

この物価高騰の時代に全てが安すぎる…!いいんですか…!

ご主人にお話を伺ってみました。

 

昔の本八幡では、大御所である鳥正さんをはじめ焼鳥屋さんはわずか3店舗しかなかったとのこと。

鳥くにさんも実は本八幡で2回の移転をしており、最終的にこちらの八幡一番街へ店舗を構えることに。

かつて一番街には道沿いに小川が流れていたそうで、大雨になると氾濫して大変だったと話されていました。

 

…え?

 

ちょっと待って!?道沿いに川!?

もしかして…!!

ほらここ!ずっと謎だった奇妙な道路の埋まり!

おかしいと思っていました、これって「川が流れてた名残」だったんですね!

やけにマンホールが多いと思ったら…!焼鳥のこと調べてたはずが別の謎が解けてしまった…

気を取り直してインタビュー。

 

地域に3店舗しかなかった頃から時が経ち、そして1989年のこと。

新宿方面から篠崎駅までしか通っていなかった都営新宿線が延伸し、「終点」である本八幡駅が誕生。

 

この都営新宿線が開通した途端、焼鳥屋さんが爆発的に増えたそう。

なるほど…!!

 

ちなみに食材は茨城から仕入れているそう。

お答えいただきありがとうございました!

 

「鳥くに」店舗情報

住所市川市八幡2-12-6
電話番号047-333-9965

調査ファイル3:つちよしさん

本八幡のとり吉さんから独立開業したつちよしさん!

とり吉系列はかつて市川駅にあった一番街で、店主さんのお父様が昭和50年に開業したのが始まり。

都市開発によって今の市川本店へ移転し、そちらは今お兄様が経営されています。

左が市川本店、右が本八幡店(現在は「大吉」)

本店の開店を経て、今から12年ほど前に本八幡にも出店。

当時はやはり北側が主な商業地だったので、一番街へとり吉を出店したそう。

 

さらにとり吉からの独立の際は都内への出店も検討したものの、お兄様と相談の末、やはり本八幡でとのことで2023年12月22日につちよしを開業しました。

梨のモヒート

店主さんにお話を伺いました!

 

焼鳥の歴史はとても古く、戦後に関東では川魚問屋がうなぎを売っていました。

たとえば茨城の利根川はうなぎの養殖の盛んな地域なのだそう。

 

しかし冬になるとうなぎが獲れず、代わりに売れるものはないかと鶏肉に目を付け、焼鳥として売り始めたところ大流行したと伝えられています。

 

言われてみれば確かにうなぎも焼鳥も串に刺してる!

焼き方も同じ、気付かなかった…まさかうなぎから始まったものだったとは…!

これが焼鳥を世に広めたと言われる鮒忠というお店。

今の70代にあたる団塊の世代が20代の若手だった頃、地方から「金の卵」として鶏肉の工場に招き、丁稚奉公させていたといいます。

 

おや!?50年前!?

時期がピタリと一致している…!

やがて金の卵たちは、工場で会得した捌く技術を活かして焼鳥屋を次々と出店。

うなぎに加えて養鶏も盛んな茨城の出身者も多く、鶏肉を鮒忠から仕入れる仕組みにしたことで大きく発展し、都内から焼鳥文化が広がっていったそう。

かく言うとり吉さんも鮒忠との関わりがあるそうです。

そうして東京の成増や板橋などで焼鳥屋が充実。

当時はまだ地価が高騰せず出店しやすかった千葉の玄関口、船橋や市川、本八幡が注目されるように。

 

かつて船橋は海沿いの漁師町で、早朝から漁へ出た漁師は昼には仕事が終わって陸に戻ってくるため、昼飲みやせんべろの文化が根付きやすかったと推測されます。

確かに相性が抜群だ…!きっともともと焼鳥のまちの基盤があったのですね。

また、千葉は成田街道の宿場でもあったので、その名残で市川や八幡や船橋は酒場が多いのかも知れません。

行徳方面にも「下新宿」という名の町が存在したり、松戸も「馬津の宿」がなまった当て字という説もありますからね…!

 

そうして東京から千葉へ文化が広まり、焼鳥屋が爆発的に増えたのではないかとのことでした。

流行と立地が重なって発展したのでは、という見解です。

なるほど!!つちよしさん凄い、めちゃくちゃ詳しいですね!!

聞けばコロナの時期に食文化について詳しく勉強したのだそう、もっと色々聞きたかったな…!

 

非常に面白い話をありがとうございました!お店の詳細はこちらから!

つちよし

居酒屋

本八幡駅近! 鮮魚・炭火焼鳥・鰻と、お酒が旨い「大人の居酒屋」

市川市八幡2-13-16 大村ビル1階

なるほどなるほど~!取材とても面白かったです!

きっとこれら複数の要因が重なって激戦区が形成されたのですね。

 

実はこういう話を知ってるよ!という方、ぜひXのコメントなどで教えてください!

また次回!大都会本八幡!

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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